英会話で難しいのは普段の、なんでもない表現ですな

いつかは英語ぺらぺらになるぞー。と、思いながらもはや60代。

英語の教科書的なことはなんとかなる。

「私はきのう何冊かの本を買うためにコーチャンフォーに行きました。」とか

「あなたは何年間日本に住んでいるのですか?」とか。

しかし、話したいのはこんなことだけではなく、

「今朝ゴミ出し忘れそうになっちゃった」

「いつもどこで買い物するの?」

「あら、今日は早いね。」

「次の勤め先、決まった?」

みたいな日々のもろもろのこと。

たぶん教科書英語でも伝わるとは思うけれど、自然な表現かと言うと大変あやしい。

英会話の動画や本はたくさんあるけれど、アウトプットの場を見つけるのが難しい。せっかく機会があってもなんだか気恥ずかしかったりして。

VoiceTube は動画で英語を勉強できる。自分に合ったレベルを選び、繰り返し聞ける、話されるスピードを少し遅くすることもできる。そっくりに言えるようになるまで何回も真似して言うといいと思う。日本語、英語両方画面に出る。

無料版は1日3本までしか聞けない。有料になると無制限にきけるのだが、1本を何回も聞く方が勉強になるから無料版で十分だろう。

もうひとついいのがTED。いろいろな人々のプレゼンを動画が配信している。過去にスティーブ・ジョブズも話しをしたそうだ。これは日本語の字幕と英語の字幕がいっしょにでない。アプリが何かあるらしいのだが、私は交互に見ている。

まだまだ頑張らないと❗️

お金に真正面から向き合おう

1週間がまたあっという間に過ぎ去ってしまった。2月ももう2週目に入る。

仕事はなんとか大きい山は越えたか、そして冬もなんとか2月を乗り越えればよいか。

去年も今年も例年より雪が少なく、町内会の排雪は入らないらしい。でも雪山のせいで、大きい通りに出る時はちょっとこわい。

雪の降らないところに住みたい!

「プライム会費の支払い方法に問題があります」とかってメッセージは詐欺らしいですね。友人が「だまされた!」って。すぐカード会社に電話して取り消してもらったようだからよかったけど。

こわいなあ。

人からお金を騙し取ろうなんて可哀想な人。騙される方がまだいいわ。

私の両親は裕福ではなかった。両親の両親も裕福ではなかった。父方の父は大きな呉服屋だったのだがズボンプレッサーに手を出して失敗、母方の父は宮大工だったのだがあまり仕事をしなかった、らしい。

母は父と一緒になってお金に苦労をし、質屋にもずいぶん通ったらしい。南京虫という小さい腕時計を流しちゃったんだよ、って話を何回か聞いた。よほど気に入ってたんだろう。

「つけといて」って、母は近所のお肉屋さんや八百屋さんで買い物をしていた。父のたばこは「しんせい」で、飲むのは焼酎だった。

うちはお金がないんだな、と思っていた。そのことが辛かったり悲しかったりしたわけではないのだが、両親のお金に対する考え方やお金への接し方は私にも染みついていると思う。

お金は減るもの、なくなるもの、自分はたくさんのお金を持つことはできない、という考えをずっと持っている気がする。

就職して自分のお金で買い物をしても、嬉しいという気持ちより、お金が減っちゃったという気持ちが先にくる。

母に何か買ってもらったりごちそうしてもらったりしても、お金使わせちゃったな、という罪悪感を持ってしまう。

父もなんだかんだ言っても子どもには甘かったので、私が欲しがる結構大きいものを買ってくれたのだか、申し訳ないという気持ちが先に立つ。

「高かったんでしょ、返せない?」と、一度言ったことがある。父は悲しそうに「そんなこと言うんじゃない」と言った。

小さい頃からずっとそうだった。お金は使ってはいけないもの、お金は悪いもの、という気持ちがずーっとあった。でもそうではないのだ、きっと。

あまりにも長い間持ってきた欠乏感や罪悪感から自由になりたいと思う。

お金に真正面から向き合おう

1週間がまたあっという間に過ぎ去ってしまった。2月ももう2週目に入る。

仕事はなんとか大きい山は越えたか、そして冬もなんとか2月を乗り越えればよいか。

去年も今年も例年より雪が少なく、町内会の排雪は入らないらしい。でも雪山のせいで、大きい通りに出る時はちょっとこわい。

雪の降らないところに住みたい!

「プライム会費の支払い方法に問題があります」とかってメッセージは詐欺らしいですね。友人が「だまされた!」って。すぐカード会社に電話して取り消してもらったようだからよかったけど。

こわいなあ。

人からお金を騙し取ろうなんて可哀想な人。騙される方がまだいいわ。

私の両親は裕福ではなかった。両親の両親も裕福ではなかった。父方の父は大きな呉服屋だったのだがズボンプレッサーに手を出して失敗、母方の父は宮大工だったのだがあまり仕事をしなかった、らしい。

母は父と一緒になってお金に苦労をし、質屋にもずいぶん通ったらしい。南京虫という小さい腕時計を流しちゃったんだよ、って話を何回か聞いた。よほど気に入ってたんだろう。

「つけといて」って、母は近所のお肉屋さんや八百屋さんで買い物をしていた。父のたばこは「しんせい」で、飲むのは焼酎だった。

うちはお金がないんだな、と思っていた。そのことが辛かったり悲しかったりしたわけではないのだが、両親のお金に対する考え方やお金への接し方は私にも染みついていると思う。

お金は減るもの、なくなるもの、自分はたくさんのお金を持つことはできない、という考えをずっと持っている気がする。

就職して自分のお金で買い物をしても、嬉しいという気持ちより、お金が減っちゃったという気持ちが先にくる。

母に何か買ってもらったりごちそうしてもらったりしても、お金使わせちゃったな、という罪悪感を持ってしまう。

父もなんだかんだ言っても子どもには甘かったので、私が欲しがる結構大きいものを買ってくれたのだか、申し訳ないという気持ちが先に立つ。

「高かったんでしょ、返せない?」と、一度言ったことがある。父は悲しそうに「そんなこと言うんじゃない」と言った。

小さい頃からずっとそうだった。お金は使ってはいけないもの、お金は悪いもの、という気持ちがずーっとあった。でもそうではないのだ、きっと。

あまりにも長い間持ってきた欠乏感や罪悪感から自由になりたいと思う。

英語の勉強をこころゆくまでしたい❗️

その年でとお思いでしょうが、英語をもっと勉強したい。そのために時間が欲しい。


時間がないというのは言い訳でしかないと思うが、それでももうちょっと自由に使える時間が欲しい・・。


朝7時20分ごろ家を出て、夜9時ごろ帰宅、ご飯とお風呂と洗濯、ちょっと猫をかまっていたら日付けが変わる。


5時半には起きて支度をしないと間に合わない!という日々。これをあと2年は続けないと生活できない。なんとかして好きなことを仕事にしながら、時間にある程度余裕を持ち、猫と遊んだりもしながら英語の勉強したい!と思っているのだが。


いやいや、これは甘えと怠けに違いない。寝る前の30分だけ勉強するんだっていいじゃないか、と思いながらゆうべもベッドで英語を聞きながら寝落ちしてしまった。情けない。


しかし今日も頑張るぞ。ベッドでは勉強しない。書かないと覚えないから机に向かう!


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中学生の頃英語が大好きだった

1年生の時の英語の先生は、授業に関係ない話も毎時間必ずしてくれた。モデルさんの話、自分の中学生時代の話、腕時計の話、水泳の話・・。


昔の英語の時間はとにかく読んで訳す、それも、単語ひとつひとつをきっちり訳す、という感じだった記憶がある。


「これはビルのセーターですか?」の返事の


No, it isn’t.  It’s Tom’s sweater. (合ってるか?)


のような文を訳す時、すべての単語をきちんと訳して


「いいえ、それはそうではありません。それはトムのセーターです。」


としないといけない。正解が出るまで先生のNext !が続く。


子どもが中学生の頃の授業参観で私の頃との違いにびっくりした。

まず、教科書の文を全部は訳さない。そして訳も、だいたいこんな感じかな、でOK。

まあ、言葉だから文法が間違っていたって伝わればいい、相手の言っていることもなんとなくわかれば大丈夫なのかもしれない・・。


でも、英会話教室ならそれでいいかもしれないが、中学校ではまず文法をきちんと勉強しないとだめなんじゃないかなあ?文法がわかって、それからなんとなく訳す、とか、話す

ならいいが、文法がわからないのに最初からなんとなく、とか、だいたいこんな感じ、ではいつまで経ってもわからないのでは?


と、思ってしまった。時代が違うのですかね。でも昔の読んで訳す式の勉強も決して意味がないものではないな、と思う今日この頃。


中学生って今の方が英語できるようになってるんだろうか?私が古いだけだろうか?




やっぱり捨てられない

昔着た服。処分してしまおうと出してはまたしまって、を繰り返している。


このラルフのキルトスカートも、もう何年もはいていないのだが、まだしっかりしているし、ほつれも破れもまったくない。新品同様。これにプリングルのワインカラーのカーディガンをよく着ていた。


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写真へた。


ベスト。89年のものらしい。


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これにはツイードのライディングスカートをよく合わせていた。


今日こそは処分するぞ!と思って出したりしまったり。


女の子がいれば着てもらえたかもしれないがあいにく男3人で。


女の子がいたら大好きなおしゃれの話を一緒にできたかな。


でも、女のいやなところ、私自身のいやなところをそっくりその子の中に見るような気がして、男の子でよかったなあと実は思っていたりする。


昔の服を見ているといろいろなことを思い出す。


さて、またしまいますか。無限ループだわ。