お金に真正面から向き合おう

1週間がまたあっという間に過ぎ去ってしまった。2月ももう2週目に入る。

仕事はなんとか大きい山は越えたか、そして冬もなんとか2月を乗り越えればよいか。

去年も今年も例年より雪が少なく、町内会の排雪は入らないらしい。でも雪山のせいで、大きい通りに出る時はちょっとこわい。

雪の降らないところに住みたい!

「プライム会費の支払い方法に問題があります」とかってメッセージは詐欺らしいですね。友人が「だまされた!」って。すぐカード会社に電話して取り消してもらったようだからよかったけど。

こわいなあ。

人からお金を騙し取ろうなんて可哀想な人。騙される方がまだいいわ。

私の両親は裕福ではなかった。両親の両親も裕福ではなかった。父方の父は大きな呉服屋だったのだがズボンプレッサーに手を出して失敗、母方の父は宮大工だったのだがあまり仕事をしなかった、らしい。

母は父と一緒になってお金に苦労をし、質屋にもずいぶん通ったらしい。南京虫という小さい腕時計を流しちゃったんだよ、って話を何回か聞いた。よほど気に入ってたんだろう。

「つけといて」って、母は近所のお肉屋さんや八百屋さんで買い物をしていた。父のたばこは「しんせい」で、飲むのは焼酎だった。

うちはお金がないんだな、と思っていた。そのことが辛かったり悲しかったりしたわけではないのだが、両親のお金に対する考え方やお金への接し方は私にも染みついていると思う。

お金は減るもの、なくなるもの、自分はたくさんのお金を持つことはできない、という考えをずっと持っている気がする。

就職して自分のお金で買い物をしても、嬉しいという気持ちより、お金が減っちゃったという気持ちが先にくる。

母に何か買ってもらったりごちそうしてもらったりしても、お金使わせちゃったな、という罪悪感を持ってしまう。

父もなんだかんだ言っても子どもには甘かったので、私が欲しがる結構大きいものを買ってくれたのだか、申し訳ないという気持ちが先に立つ。

「高かったんでしょ、返せない?」と、一度言ったことがある。父は悲しそうに「そんなこと言うんじゃない」と言った。

小さい頃からずっとそうだった。お金は使ってはいけないもの、お金は悪いもの、という気持ちがずーっとあった。でもそうではないのだ、きっと。

あまりにも長い間持ってきた欠乏感や罪悪感から自由になりたいと思う。