外国語、学ぶべし

今のようなグローバルな世の中になっても、やはり子ども達の中には「日本人なのになぜ英語を勉強するのですか」という疑問を持つ子がいるようだ。

テストで悪い点をとって「どうせアメリカになんか行かないからいいんだ」と言う子も。

まあ本人がいいならいいけど。

でも現実問題として、高校や大学の入試から外国語としてのはずれないんだろうし。それどころか、リーディングの力まで測られるようになるんだよね?違ってたらごめんなさいだけど。

でも、何より、英語がわかった方が世界が広がるよね?英語はなぜ日本語より数を気にするんだろう、とか、日本語はなぜ主語を言わなくてもなくても通じるんだろう、とか、学んでいるうちに違いに気づいて世界が広がるよね?

実際に英語を将来使うかどうか、アメリカに行くかどうか、じゃなくてそこだと思うんだがなあ。

こんなに違う、おもしろい!って子ども達が思えるようになるためには、いろいろなところが変わっていかなきゃならないとは思うけれど、楽しい授業を与えられることを待っていないで、自分でおもしろみを見つけられるようになるといいですな。

外国語、学ぶべし

今のようなグローバルな世の中になっても、やはり子ども達の中には「日本人なのになぜ英語を勉強するのですか」という疑問を持つ子がいるようだ。

テストで悪い点をとって「どうせアメリカになんか行かないからいいんだ」と言う子も。

まあ本人がいいならいいけど。

でも現実問題として、高校や大学の入試から外国語としてのはずれないんだろうし。それどころか、リーディングの力まで測られるようになるんだよね?違ってたらごめんなさいだけど。

でも、何より、英語がわかった方が世界が広がるよね?英語はなぜ日本語より数を気にするんだろう、とか、日本語はなぜ主語を言わなくてもなくても通じるんだろう、とか、学んでいるうちに違いに気づいて世界が広がるよね?

実際に英語を将来使うかどうか、アメリカに行くかどうか、じゃなくてそこだと思うんだがなあ。

こんなに違う、おもしろい!って子ども達が思えるようになるためには、いろいろなところが変わっていかなきゃならないとは思うけれど、楽しい授業を与えられることを待っていないで、自分でおもしろみを見つけられるようになるといいですな。

英語はある日突然わかるのです。

小学校ですでに英語が教科になっているが、昔は中学校に入って初めて習う教科だった。

昔はブロック体のほかに筆記体も習い、先生の板書も、生徒がノートに書く文字も筆記体だった。 そのうち私は、英語の文字と読み方がかけ離れていることにそのうち気づいた。

じゃあなにかこれを覚えたら英語が読める、というきまりがあってそれをそのうち教えてくれるんだね?と思って、その時を待っていたのだが、いつまで経っても先生はそれを教えてくれない。 はて、もしやこれはそのような決まりはないのでは?と思うようになったのはだいぶ後のこと。

まあ、実際はフォニックスというものがあるのだけれど、私が中学生のころは授業ではまったくそんな勉強はしなかった。

???と思いながらも英語は好きだった。予習もちゃんとした。単語の意味を調べて、教科書の文を訳して。

洋楽を訳したりもしてみた。ブラックマジックウーマンとか、アメリカ・アメリカとか。なんかわけがわからなかったけど。

でも、文がちょっと長くなるとお手上げで。

どうしてみんな訳せるんだろう、どうして私は訳せないんだろう、と思いながら、あの頃は多分教科書ガイドみたいなものもなかったので、ひたすらまじめに、なんとか意味のとおる日本語を作った。

わからないからやらない、という選択肢はなかった。だって当てられて「わかりません」とは言いたくなかったし、何より英語が好きだったから。

あっ、これの次はこの形、発音した感じこれは変だから間違ってる、ってクイズみたいに英語を読んでいた。文法は私の頭の中には全く存在しなかった。

それはそれでいい気もするが、外国語を学ぶ時にはやはり文法が必要だよな・・。自分の中に存在しないんだから、外から取り入れるしかない。日本語だって、意識してはいないけど文法に則って話したり書いたりしているのだから。 でも中学校時代の私は、テストの点はそこそことれたので、文法の勉強をしようなんて思いもせず、長文訳せない問題を高校に持ち越した。p>

高校ではリーダーとコンポとグラマーがあり、グラマーの授業で初めて文法を意識した。 文型というものがあることを初めて知った。カンマのあるなしで意味合いが変わることも知った。ほおーと思いながらやがて高校2年夏休みの夏季講習。 ある日テキストを開いて英文を眺めてみると、ええええ?意味がわかる、昨日まで全然わからなかったのに!

これは一体どうしたことか。視界が一気にぱあっと明るくなったような気持ちだった。なぜこんな文がきのうまで訳せなかったんだろうと思うくらい、すーっと理解できた。

たぶん英語がわかるためには頭の中の目盛り100なら100まで単語や文法の知識がたまっていなければならず、そこに到達した瞬間、あちこちでいろんなことがカチカチとリンクし始めて飛躍的にわかるようになるんじゃないだろうか。だれでも諦めなければいつかはそこに到達するのに、到達する前に諦めて英語に見切りをつけてしまう人がたくさんいるんじゃないだろうか???

英語は絶対わかるから!中学生、高校生のぼくたち私たち、諦めないで❗️p>

f:id:yoyotsublog:20210222233741j:plain

英語はある日突然わかるのです。

今は小学校から英語を教科として勉強しているが、昔は中学校に入って初めて習う教科だった。

私は英語もローマ字読みすればいいと思い込んでいたのだが、どうもそうではないらしい、とわかった。

じゃあなにかこれを覚えたら英語が読める、というきまりがあってそれをそのうち教えてくれるんだね?と思っていたがいつまで経ってもそのきまりを教えてくれない。そのうち、英語は日本語と違って、それほど明確なきまりはないのかも、と思うようになった。

まあ、実際はフォニックスというものがあるのだけれど、私が中学生のころは授業ではまったくそんな勉強はしなかった。

???と思いながらも英語は好きだった。予習もちゃんとした。単語の意味を調べて、教科書の文を訳して。

洋楽を訳したりもしてみた。ブラックマジックウーマンとか、アメリカ・アメリカとか。なんかわけがわからなかったけど。

でも、文がちょっと長くなるとお手上げで。

どうしてみんな訳せるんだろう、どうして私は訳せないんだろう、と思いながら、あの頃は多分教科書ガイドみたいなものもなかったので、ひたすらまじめになんとかかんとか訳して行った。

わからないからやらない、という選択肢はなかった。だって当てられて「わかりません」とは言いたくなかったし、何より英語が好きだったから。

あっ、これの次はこの形、発音した感じこれは変だから間違ってる、ってクイズみたいに英語を読んでいた。文法は私の頭の中には全く存在しなかった。

それはそれでいい気もするが、外国語を学ぶ時にはやはり文法が必要だよな・・。自分の中に存在しないんだから、外から取り入れるしかない。

時は流れて高校2年の夏休み、夏季講習が始まる前、テキストを開いて英文を眺めてみると、ええええ?

意味がわかる、昨日まで全然訳せなかった英文の。

これは一体どうしたことか。視界が一気にぱあっと明るくなったような感じでわかる・・。そして、昨日までどこがわからなかったのかすらもはやわからないくらい、普通にわかる。

たぶん英語がわかるためには頭の中の目盛り369まで(数字はてきとう)単語や文法の知識がたまっていなければならず、そこに到達した瞬間、あちこちでいろんなことがカチカチとリンクし始めて飛躍的にわかるようになるんじゃないだろうか。だれでも諦めなければいつかはそこに到達するのに、到達する前に諦めて英語に見切りをつけてしまう人がたくさんいるんじゃないだろうか???

英語はある日突然わかるのです。絶対です。諦めないで!

f:id:yoyotsublog:20210222233741j:plain

卒業期 いまむかし

受験・卒業・合格発表という時期がきた。みんなが自分の第一志望校に合格できるといいね。

聞くところによると、コロ助のせいで去年に引き続き高校での合格者番号の掲示はなし。子供たちはwebで自分の番号を探すことになる。寂しいね・・。

昔は名前も掲示されたものだ。夕刊にも高校ごとに合格者の名前が載った。あっ、この子も合格した、あー、あの子の名前はない・・などと一生懸命友達の名前を探したものだ。

ラジオでも発表があったっけなあ。合格者の名前を読み上げていた。私は合格発表見に行く勇気がなくて、家でラジオを聞いていた、ドキドキしながら。名前が読まれた瞬間、一緒にラジオを聞いていた父と握手をした。懐かしい。

卒業式は父、母、それに孫の姿を見たいじいちゃんばあちゃんも列席したもんだ。しかしこれもやはりコロ助のせいで、1家庭1保護者の参加だとか。

そして合唱もなし。君が代がないのはいいけど、歌のない卒業式って泣けるのかしらん?

自分の卒業期で何を歌ったのか、全然覚えていないが、仰げば尊しとかかな。長男の卒業式は大地讃頌だった。

白い日差しの中に山並みは燃えて

はるかな空の果てまでも

君は飛び立つ

どこかの中学校の先生が作ったというこの歌も今結構歌われるみたいで。

いい歌ですね、この歌。生徒たちが泣きたくなる気持ちがわかる。

さよなら友達 いつか 会う日まで

もいいね。

昔の卒業式って淡々としていた記憶しかない。いや、私が淡々としていた?斜め前の双子の男子の一人が涙を流していたのにちょっと驚いた。

終わってから友達と、「泣いてたね」「感極まったんだね」なんて話してた。

で、翌日合格発表、午後になってから中学校へ行き、遅かったな、とか言われて担任からお祝いの色紙をもらった。

今はいろいろな手続きがあるようで、生徒が卒業してもいろいろ大変みたいです。

みんなで笑顔で春を迎えられますように❣️

お金に対する考え方その2

人の考え方というのは似たような考え方を引き寄せるのか。お金ないなあ、もっと欲しいなあと思うから、もっと欲しい、つまりお金が足りない現実が引き寄せられる。同じような考え方を持った人が引き寄せられる。

弟は自己破産、夫も知らないうちに自己破産していた。なぜみんなこうなんだ?と思うけど、自分が引き寄せているんだろうな。

母はいろいろなことをすごく頑張る人ではあったし、大好きだったけど、お金にはすごく囚われていた。

あんなふうにはなりたくない。この年からでも抜け出せるはず。

意識して気分を上げていかないと。気を抜くと重力の法則で落ちてしまうからな。上げるのはやはり簡単ではないね。f:id:yoyotsublog:20210218215222j:plain

お金に対する考え方

お金に対する親の考え方、お金への接し方というのは子どもにすごい影響力を持っている。

お金は貯まらないもの、減るもの、という考え方は確かに私の親が持っていたもの。

お金をたくさん持っている人への妬みもそう。

「ちっとも羨ましくないよ」と母はよく言った。でもその言葉の裏には妬みがあった。

ずーっとそれを感じてきて、いつかそれは私のものとなった。

意識を向けたことが現実になる。お金がないと思っていると、お金がない現実がつくられる。

お金ない・・と思わない日はなかった。お金が少し入っても、いずれなくなるんだ、という方に意識が行ってしまう。

お金があって安心、と思えない。

この考えから自由になりたい。

どうせ考えるなら楽しいことを考えたい、感じたい。と思うのだが、やってみるとこれが案外難しい。気がついたらネガティブな思考になっている。

だめだめっ。と首をぶんぶん振ってみる。

ポジティブな方に気持ちを上げていくのは結構努力が必要。ネガティブな考えぐせがついてしまっているのかもしれない。

この貧乏体質を改善したい。そのためまずこれまでの自分を振り返り、お金に関する間違った考えや価値観を洗い出してみようと思う。蓋をしてしまう前にまず全部取り出して見つめてみたい。